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郷土三原ゆかりの人たち 池田敬子(いけだ けいこ)

記事ID:0002907 更新日:2014年4月1日更新

 1933(昭和8)年~2023(令和5)年
 日本を代表する国際的な体操選手です。
 旧姓は田中といいます。
 豊田郡鷺浦村(現在の三原市鷺浦町 )に生まれました。
 広島県立三原高等学校時代から,体操競技(当時の器械体操)にすぐれた素質がありました。
 1952(昭和27)年に,日本体育大学に進学し,翌年には全日本選手権大会で優勝しました。
 1954(昭和29)年には,日本体操界が初めて女子選手を国際大会に派遣した,ローマでの世界選手権大会の平均台で金メダルを獲得し,個人総合でも8位に入賞するというすばらしい成績でした。
 その後,1956(昭和31)年のメルボルンのオリンピック大会に続きローマ,東京(団体で銅メダル)とオリンピックに3回連続出場し,また,4回連続出場した世界選手権でもメダルを獲得,全 日本選手権では10回優勝し,長い間体操界の第一人者でした。
 この間,結婚,2児の出産,育児と,36歳で現役を 退くまで世界の第一線で活躍し,日本女子体操界に華々しい足跡を残しました。
 その後,日本体育大学教授,副学長として後進の育成に努め,また,幼児や小学生を対象に体操クラブを開くなど,世界に通用する体操競技者のすそのを広げ,体操界の向上に大きな功績をあげています。
 2002(平成14)年には,国際体操殿堂入りを,翌年には,三原市初の名誉市民になりました。

池田敬子

みはら再発見


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