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郷土三原ゆかりの人たち 新藤兼人(しんどう かねと)

記事ID:0002906 更新日:2014年4月1日更新

 1912(明治45)年~2012(平成24)年

 映画監督であり脚本家です。
 生まれたところは,広島県佐伯郡石内村(現在の広島市佐伯区)です。
 1934(昭和9)年に,映画会社の新興キネマ京都撮影所に入社して,溝口健二監督の指導をうけましたが,10年後には 松竹大船撮影所に入社し脚本部員となりました。
 1950(昭和25)年,松竹を退社し,その年に独立プロダクション・近代映画協会を設立しました。
 翌年,映画『愛妻物語 』を,監督として初めて製作しました。
 同じ年に,マキノ正博監督の『待ちぼうけの女 』と,吉村公三郎の『偽 れる盛装』の脚本を書き,脚本家としてゆるぎない地位を確立しました。
 1960(昭和35)年には,自然と人間の闘 いをきびしい表現で描いた台詞のない無言の映画詩『裸の島』で,モスクワ国際映画祭やメルボルン映画祭のグランプリを受賞し,世界60数カ国で上映され,世界中で好評を受けました。
 1976(昭和51)年には,長い間 の独立プロ活動の業績で朝日賞を受賞,とくに1995(平成7)年公開の『午後の遺言状』は,日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ,この年の映画賞を独占しました。
 その後,スポニチ文化芸術大賞グランプリ,モントリオール国際映画特別賞を受賞するなど評価は高く,国際的にも認められました。
 三原では,『裸の島』(撮影場所は三原沖の宿祢島で,出演俳優は乙羽信子と殿山泰司2名だけ),『らくがき黒板』(附属三原学園の児童が出演)など4本の映画を製作し,三原は第二の故郷と言われています。
 2002(平成14)年に,文化勲章を受賞しました。同じ年に広島県名誉県民に,翌年には三原市最初の名誉市民となりました。

新藤兼人

みはら再発見


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