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1911(明治44)年~1944(昭和19)年
洋画家です。現在の三原市西町一丁目で生まれました。
1923(大正12)年に,広島県立府中中学校(現在の府中高校)に入学し,そこで,美術教師の藤原覚一(のちの三原市立図書館長 )に学び大きな影響をうけました。
1931(昭和6)年に,東京美術学校(現在の東京芸術大学 )油画科に入学します。
そこでは藤島教室に入り,藤島武二の指導のもとに,光風会の画家の中でも最も優秀な才能をもっている画家として,将来を期待されました。
美術学校在学中 からその才能は開花し,第25回光風会展に作品「埴輪」を出品 しF氏賞 を,つぎの年には「昇天」で光風会賞を,1940(昭 和15)年の出品作「運河」では光風会特賞を受賞 するなど,洋画美術での活躍はすばらしいものでした。
特賞を受賞した年の秋,腎臓病のため手術をし,退院後は三原に帰り療養,制作に専念します。
しかし,1944(昭和19)年に,結核により33歳の若さで三原の自宅で亡くなりました。
三原市には,彼の作品が多く残されており,遺作展や記念展が開催されました。