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1902(明治35)年~1974(昭和49)年
映画監督です。豊田郡沼田東村(現在の三原市沼田東町 )に生まれました。
京都の第三高等学校(現在の京都大学)に進学しましたが,家庭の事情で中途退学し,そのあと小さな新聞社の記者をしました。
1924(大正13)年に,映画会社の日活撮影所へ 入社し,映画製作の助監督になり,3年目には早くも監督に昇進しました。
この頃の作品には,「阿里山の侠児」「この母を見よ」「春と娘 」「心の日月」などがあり,様々な分野の映画を発表して将来を期待されました。
一時期,日活を退職していましたが,数年後に復帰してからは益々実力を発揮しました。
とくに作家山本有三の「真実一路」「路傍の石」という作品は,ひとりひとりの人間を大切にする田坂監督の真面目な人柄を反映した,代表的なすばらしい作品でした。
また戦争映画の「五人の斥候兵」「土と兵隊」では,戦う兵隊の人間らしさの 表現に,あたたかい眼を注ぐことを忘れませんでした。
1945(昭和20)年に,広島の部隊で原爆にあい,戦後は長い闘病生活を送りました。
再起後は,原爆をテーマにした「長崎の歌は忘れじ」をはじめ,「女中っ子」「陽のあたる坂道」などの力作を発表しています。
その後,東映に入り「親鸞」「ちいさこべ」「五番町夕霧楼」「湖の琴」などの名作を残して,晩年をかざりました。