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1874(明治7)年~1957(昭和32)年
僧侶であり,明治の世界探険家です。
三原西町にある浄念寺に生まれました。
1890(明治23)年に広島中学校を卒業後,京都の西本願寺文学寮 (現在の龍谷大学)に入学し,僧侶になるための勉学に励みました。
哲信が在学中 に西本願寺で運動会があった時のことです。大勢の中でとくに目立った3人の学生が,大谷光瑞(のちの西本願寺の門主)の目に止まりました。
大谷光瑞は,以前から世界探険隊組織の大きな計画を立てていましたので,隊員にこの3人の学生も選びました。
その中の一人に哲信がいました。
哲信はこのとき23歳でした。
これからすぐにモスクワへ行けと言われたときは,びっくりしてこれからどうしたらいいものかと,驚きめんくらったと後日思い出を語っています。
以後,世界探険隊の一員としてエジプトに行き,また中国では長期間滞在し,ここからインドや中央アジアの各地を旅行しました。
哲信が大谷家からいかに大事にされていたかは,光瑞兄弟からの招待や大谷家の人々からの寄せ書きからでも,よく分かります。
現在,浄念寺に残っているノートの中に,インド紀行のスケッチがあり,英文,日本文の説明がついていて,当時のことを知ることができます。
龍谷大学の先生が,大学の図書館に浄念寺から持ち帰った日記は,梵語文で書かれていて貴重なものだそうです。
童謡詩人である武内俊子は,哲信の姉の子にあたります。