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郷土三原ゆかりの人たち 花井卓蔵(はない たくぞう)

記事ID:0002898 更新日:2014年4月1日更新

  1868(明治元)年~1931(昭和6)年
 法学博士で弁護士や政治家として活躍した人です。
 御調郡三原町 (現在の三原市)で生まれました。
 10歳のとき,東京の学校に進学しましたが,学校に納めるお金に困り,13歳で退学し三原に帰りました。
 帰郷後は小学校の教員をしながら長谷川桜南の門下生となり,高楠順次郎らと桜南舎で学びました。
 16歳のとき,ふたたび上京し,苦学しながら英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業しました。
 23歳の若さで弁護士試験に優秀な成績で合格し,以後弁護士の第一人者として生涯を通じて法律をより正しくしていくことに尽くした功績は大きなものでした。
 また雄弁家で,人々にうったえる力や説得力があり,日比谷焼き打ち事件,足尾銅山労働争議,大逆(幸徳)事件など,1万件にもおよぶ事件に弁護士として,活躍しました。
 政治家としても,31歳で衆議院議員に初めて当選し,以後約20年間 衆議院議員や衆議院副議長として,1922(大正11)年から亡くなるまでは貴族院議員として,普通選挙法をはじめ多くの法律の実現や改正などに尽力しました。
 1951年から60年代(昭和26~44年)にかけ,雄弁家であった卓蔵にならって,広島県下や三原市近辺の中学生を対象 にした「花井杯弁論大会」が催されたこともありました。
 三原市芸術文化センター(ポポロ)の北側には,花井卓蔵先生を讃える会によって胸像が建てられています。

 花井卓蔵

みはら再発見


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