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1845(弘化2)年~1934(昭和9)年
剣 術・槍術・砲 術の優れた武術家です。
三原浅野氏の家臣倉橋六藤太の子として,城内二之丸邸で生まれました。
幼いときに,城内の明善堂で宇都宮龍山から学問を学びました。
剣術は,信抜流 剣法のすべてを授かり,その力 が認められました。
17歳のときに主人の命令により,槍術指南番の佐分利源五左衛門に槍の教えを受け,その後,佐分利流槍術のあとを継ぎました。
また,早くから勤皇の志をたて,遺書をおいて京都に行き,世の中を新しく変えていこうとする天誅組に入って活動しました。
明治時代に,佐分利流槍術を天皇の前で模範演技したこともありました。
全国的な大会では,京都武徳殿演武に毎年出場して勝利し,数々の賞を受けています。
1924(大 正13)年には,槍術範士の 称号が与えられました。
砲術においても, 榊山流砲術の使い手として優秀でした。