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郷土三原ゆかりの人たち 丹羽精蔵(にわ せいぞう)

記事ID:0002895 更新日:2014年4月1日更新

  1839(天保10)年~1868(慶応4・明治元)年

 明治維新の勤皇の志士です。
 三原浅野氏の家臣丹羽勇の子として生まれました。
 幼いころから,学問・武芸に優れていました。
 16歳のとき江戸へ行き,千葉周作 ,斉藤弥九郎の弟子になって武術の腕を磨き,三原に帰って広島藩の師範となりました。
 1863(文久3)年に,朝廷監察使正親町少将が三原を通行する際,東野村(現在の糸崎町)にある砲台をみてまわりましたが,そのとき精蔵が警護につきました。
 その後,巡視の一行が長州(山口県)へ行き京都に帰るまで,警護のため同行しました。
 精蔵は,明治維新の志士として名高く,土佐(高知県)の坂本龍馬や長州の高杉晋作など多くの志士と親交を深め世の中を新しく変える心意気をもりあげていきました。
 明治維新では,たびたび危険なめにあいながら,同志とともに活躍しますが,さいごには京都の旅館で暗殺されました。
 まだ30歳の若さでした。

※明治維新=江戸幕府の政治から,天皇中心の新しい政府による近代国家を成立させた時代。

 

これまで、丹羽精蔵氏の生年を1838(天保9)年、没年を1867(慶応3)年と記載していましたが、下記の資料から判断し、上記のとおり生年を1839(天保10)年、没年を1868(慶応4・明治元)年と訂正しました。

・『浅野榎蔭君と丹羽精蔵』(澤井常四郎 著)
・『丹羽秀明傳』(岡村貢山 著)『浅野榎蔭君と丹羽精蔵』内に掲載あり
・「贈正五位丹羽精蔵君頌徳碑」(寿徳寺)
・丹羽精蔵氏墓碑(寿徳寺)
・丹羽家過去帳

- 平成19年9月更新 -

丹羽精蔵

みはら再発見


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