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郷土三原ゆかりの人たち 長谷川桜南(はせがわ おうなん)

記事ID:0002894 更新日:2014年4月1日更新

  1829(文政12)年~1885(明治18)年

 江戸時代終りから明治にかけて活躍した学者です。
三原城主浅野氏の家臣の子として,三原に生まれました。
 名は恭平とい います。子どものころから学問が好きで,学者の宇都宮龍山のもとで勉強しました。
 後に江戸に行き,幕府の学校の昇平黌(昌平黌)に入りました。また古賀侗庵という先生からも教えを受けました。
 2年後に三原に帰り,城内の学問所である明善堂の先生になりました。
 明治になって学制が公布され,学区取締の役を命ぜられます。
 後にこの役を退き,桜南舎を開いて子弟を教育しました。
 望月惇一,花井卓蔵,高楠順次郎,山科礼蔵らは,その門下生です。
 その後,松永(現在の福山市松永町 )に招かれ, 浚明館を創立します。
ここでも多くの門下生が学んでいます。
 1885(明治18)年7月5日 病に倒れ,子弟に惜しまれながら亡くなりました。57歳でした。
三原市本町の香積寺に葬られています。
 著書に「近世三家詩抄」があります。

※ 明治の学制=日本で初めての学校制度。全国を大・中・小学区に分け,とくに小学校の設置に力を入れた。

 長谷川桜南

みはら再発見


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