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郷土三原ゆかりの人たち 本因坊秀策(ほんいんぼう しゅうさく)

記事ID:0002893 更新日:2014年4月1日更新

  1829(文政12)年~1862(文久 2)年

 江戸時代終り頃の囲碁の棋士です。因島(現在の因島市)の桑原家に生まれましたが,父は三原の安田家から因島に来た人です。
  6歳のときに,囲碁の才能を尾道の橋本吉兵衛という人に見出され,9歳で三原城 主の浅野忠敬にみとめられ,江戸で本因坊丈和の弟子になりました。
丈和は「150年来の碁豪(囲碁の大物)なり」とほめたそうです。
 弟子の時代には,三原の安田姓を名乗っていました。 13歳のとき師から名を秀策に改名され,2段に昇進しました。
 その後,14歳で3段,15歳で4段と進み,20歳には6段になりました。
21歳のとき,棋士たちの最大の願いである御城碁(幕府が毎年11月17日に江戸城で行う囲碁の会)に,初めて参加が認められました。
 以後,この御城碁では敗れたことがなく,12年間に19回対局して19連勝の記録を達成し,こんな棋士はもう出てこないと,みんなおどろきました。
 また,秀策は郷里の父母にもよく仕え,勉学にも励んだことは,彼が遺している30通あまりの手紙でよく分かります。
 秀策は本因坊を継ぐことになっていましたが,34歳の若さで病死したので実現しませんでした。
しかし,碁聖( 碁の名人) と称えられ,本因坊と呼ばれています。
そして彼が定型化した布石の型は,秀策流として現代に伝えられています。

※ 本因坊=現在では,囲碁の本因坊戦での優勝者にあたえられる称号。

 本因坊秀策

 みはら再発見


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