ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 三原市教育委員会 > 郷土三原ゆかりの人たち 宇都宮龍山(うつのみや りゅうざん)

本文

郷土三原ゆかりの人たち 宇都宮龍山(うつのみや りゅうざん)

記事ID:0002892 更新日:2014年4月1日更新

  1803(享和3)年~1886(明治19)年
 江戸時代から明治にかけての学者で,糸崎に港を開いた人です。
 伊予(愛媛県)で生まれ,幼いころ父が亡くなりました。
 早くから学問の道を志し,大洲(現在の愛媛県大洲市)で学び,その後大洲藩のすすめにより江戸に出て勉強をしました。
 このころ,母が手足の不自由な難病にかかり,龍山は20年間にわたり介抱しました。その親孝行ぶりは,誰もが頭の下がる思いでした。
 1838(天保9)年に母が亡くなり,龍山は翌年から尾道に住むようになりました。
 42歳のとき,龍山は11代三原城主の浅野忠助にたのまれて,城内の明善堂(学校)の先生になりました。
 また学問だけでなく,藩の政治にも参加し活躍しました。
とくに糸崎の松浜港の開港については,どうしても必要であるとの意見を出し,ついに1864(元治元)年に工事がはじまり,翌年に開港することができました。
 開港以後,北前船なども寄港するようになり,三原の商人もここに店をかまえ,町は繁栄していきました。
 龍山は,現在の糸崎港の基を開いたわけです。
 1868(明治元)年に三原を退いてからは,尾道に私塾「 朝陽館」を設けて子弟を育成しました。

 宇都宮龍山

 みはら再発見


チャットボット