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郷土三原ゆかりの人たち 定屋和尚(じょうおく おしょう)

記事ID:0002891 更新日:2014年4月1日更新

  1768(明和5)年~1851(嘉永4)年

 江戸時代の終りころ,沼田川に初めて橋をかけた僧侶です。
 御調郡三原町(現在の三原市)で生まれました。
 13歳のとき,田野浦村(現在は田野浦町)にある双照院の住職満目和尚の弟子になりました。
 1799(寛政11)年に満目和尚が亡くなり,定屋和尚は32歳で双照院の10代目の住職になりました。
 定屋和尚の生涯は,毎日が修行・托鉢で,質素な生活の中で満目和尚をよく助けました。
 江戸時代の沼田川には橋はなく,定屋和尚は日頃から沼田川に橋をかけることを夢みていた満目和尚の意志を継いで,1834(天保5)年に,長さ170m,幅4mの板橋を建設しましたが,洪水で橋は流されました。
 1850(嘉永3)年にふたたび橋をかけ,和尚の名をとって「定屋橋」と命名されました。
 橋の南西側の堤防道のそばには,和尚の業績をほめた たえた「定屋和尚架橋之碑」があります。
 現在の定屋大橋は,6度目にかけかえられた橋です。

※ 托鉢=僧侶が鉢をもって家々をまわり,お経をとなえてお金や食べ物をもらって歩くこと。

 定屋和尚

みはら再発見

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