1760(宝暦10)年~1816(文化13)年
江戸時代後半の学者です。三原に生まれ,
家は代々商家でした。
幼少のころから学問がすきで,成長するにつれて詩をよく作りよく読みました。
9代三原城主の浅野忠順から深く信頼されていた充延は,三原西町の役人を命ぜられました。
その後,諸藩のようすをさぐるよう極秘の命令を受け,ひそかに各地をまわって視察し,報告の文書をだれにもわからないように紙ひねりにして荷物にしばって送り,世間にあやしまれないようにしていたといわれています。
広島藩が『国郡志』の編さんをはじめたときに,三原については,それまでの研究活動がみとめられた充延が御用係に命ぜられ,『三原志稿』の作成をすることになりました。
この仕事は,完成されないまま充延は亡くなりますが,充延の子の充実があとをひきつぎ完成させました。
※ 国郡志=藩内の町や村の自然・歴史・産業・人物などを著した書物
※ 三原志稿=三原のようすをくわしく著した書物