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郷土三原ゆかりの人たち 愚中和尚(ぐちゅう おしょう)

記事ID:0002885 更新日:2014年4月1日更新

   1323(元亨3)年~1409(応永16)年

 室町時代の禅宗の僧侶で,三原に「仏通寺」を建てた人です。美濃の国(岐阜県)に生まれました。なまえは周及といいます。
 13歳のとき京都で夢窓疎石というえらい僧侶について勉強しました。
 18歳のころ,中 国(元という国)に行き,即休契了という僧侶のもとで7年間修行をしました。
 その後,日本に帰ってからは,山の中できびしい修行をして,りっぱな僧侶になりました。
 そのころ,安芸国沼田荘(現在の本郷町)をおさめていた小早川春平に招かれて,愚中和尚は現在の三原市高坂町に「仏通寺」を建てました。
 当時の仏通寺には多くの寺院があり広大なお寺で,全国でも有名な禅道場 として 知られた,臨済宗 仏通寺派の大本山です。 僧侶で画家でもあった雪舟 がつくったと伝えられる庭園などが,今でも 仏通寺に残っています。
 仏通寺という名は,中国で修行したときの先生であった即休契了の,もう一つのなまえである仏通禅師からつけたものです。

愚中和尚

みはら再発見


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