本文
市民福祉会館 ~ 時代を映し出す憩いの場 ~ | |||||||
| |||||||
![]() 仁井 確郎さん (皆実五丁目) 「労働会館の親子どんぶりは、 安くておいしかったですよ」 | 現在の市民福祉会館が建設されたのは、昭和46年。それまでは、労働会館という名称で、市民に利用されていた建物がありました。 昭和20年~30年代の三原市は、県内でも有数の工業都市で、労働者のまちとして栄え、脚光を浴びていました。帝人通りから、曙橋にかけて、毎朝通勤の人々が、ぞろぞろと歩いていたといいます。 その中の一人だった、久井町出身の仁井確郎さんが、当時のことについて語ってくれました。労働会館は、主に労働者たちに利用されていた施設で、会議や講演会などの際には、多くの人々が出入りしていました。「労明荘という、結婚式場や、宿泊施設、飲食店などを兼ねた施設も併設されていました。いずれも安価で、特に、一万円結婚式場には、庶民の人気が集中しました」と話します。 公的な施設は、時代のニーズに応じて、変化していくように感じるという仁井さん。労働会館が市民福祉会館に姿を変えたことは、当時の情勢を映し出していたのかもしれません。 子どもたちへのメッセージを聞くと、「みんなが分け隔てなく、助け合えるような、平和都市になってほしいです。手をとり合って、みんなで一つの輪がつくれたらいいですね」と語ってくれました。 |