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西浜港 ~水路交通が栄えた町~ | |||||||
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![]() 勝村 篤博さん (港町三丁目) 「やんちゃな子ども時代は、よく叱られていました」 | 現在の市役所庁舎のあたりは、昭和初期頃までは入り江となっていて、西浜港といわれていました。青果市場に野菜などを売りにくる船や、材木を運搬する船など、さまざまな船が出入りしていました。近隣の島から品物を売りに来る人は、三原の街で買い物をして帰っていきました。幸崎方面からも、陸を通るより便利で早いのが船での交通でした。 港町で生まれ育った勝村篤博さんは、幼い頃の想い出を語ります。「帝人橋(曙橋)からよく飛び込んだものです。泡が切れないように、仲間を引き連れて次々に飛び込みました」と勝村さん。水がきれいで、夏場はシャワーを浴びているように気持ちよかったといいます。 家族の手伝いで、材木を船に積む作業などもしていました。揺れる船に足元が安定せず、重い材木とともに海に落ちてしまったこともあります。「真冬の海は本当に冷たかったです」と苦い想い出も語ってくれました。 子ども時代、欲しい物も簡単には与えてもらえず、厳しくしつけられたことで、物のありがたみを教えられたという勝村さん。「今の子どもたちにも、もったいないという気持ちを、持ってもらいたいですね。そこから感謝の気持ちが生まれます」と語ってくれました。 |