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帝人通り ~ 時代とともに見つめ続けた商店街 ~ | |||||||
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![]() 坂本 ハツ子さん (港町一丁目) 「今でも、一人で電車に 乗って出かけるんですよ」 | 駅から南に向かう多くの会社員の通り道であった帝人通り。飲食店や日用品を扱う店のほか、映画館、郵便局などもあり、戦後は特に、行き交う人でにぎわいを見せました。 今月で91歳になる坂本ハツ子さんは、昭和11年、夫婦で寿司屋を開業しました。「世が明けるまで帰らないお客さんも多くて、つい居眠りをしてしまったこともあります」と、会社帰りの常連さんが多かったころの想い出を語ります。しかし、戦争中はお米がなくて、県庁で配給を受けたという苦労話も。 昔は帝人通りに青果市場が立っていて、よく利用したといいます。「現在は、月に一回のさんさん土曜市が開かれていますね。良い品が多い市だと思います。帝人通りの活性化につながればいいですね」と期待を寄せます。 車が少なかった頃は、子どもどうしが走り回って遊んでいました。最近では、お母さんに手を引かれた子どもが多いといいます。「物騒なニュースを聞くと悲しくなります。私も子どもたちを守るために、何か役にたてたらいいなぁと思っているんです」と、元気に語ってくれました。 |