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民俗学者・鮓本刀良意が遺した記録

記事ID:0131032 更新日:2021年10月21日更新

 日本は、昭和30年代以降の経済発展とともに、大きくその風景を変えていきました。それは私たちの三原も同様でした。

 鮓本刀良意(すしもと とらお)は郷土の民俗学者として、三原の変わりゆく生活を記録に残し、記憶を未来につなごうと奮闘しました。なかでも、幸崎能地地域、椋梨ダム建設地域の民俗調査は、今ではもう見ることのできない風景を記録に残した貴重な資料となっています。

とらお 

鮓本 刀良意(すしもと とらお)

明治43(1910)年生~昭和53(1978)年没

【写真・昭和39(1964)年中之町・太郎谷遺跡にて】

 若い時から郷土史研究家として、歴史や古くから続く生活様式の調査を続け、三原市内の民俗学の分野ではパイオニア的存在であった。なかでも、幸崎能地地域および椋梨ダム建設地域の民俗調査に力を注ぐ。昭和37(1962)年、広島県民俗緊急調査の調査員になったことがきっかけで、日本を代表する民俗学者・宮本常一と出会い、亡くなるまでその交流が続いた。鮓本は30代から闘病生活を送り、体力の低下した後は仕事を辞めて調査活動を続けた。『ダムに沈む村・広島県椋梨ダムの民俗調査』は鮓本渾身の著書である。

幸崎能地の風景

椋梨ダム建設前の風景

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