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小早川隆景

記事ID:0003120 更新日:2014年2月17日更新

小早川隆景
米山寺所蔵の絹本著色小早川隆景像

 小早川隆景は、毛利元就の三男として生まれました。隆景は、12歳で竹原小早川氏を相続し、天文19年には本家となる沼田小早川氏を相続しました。天文20年に沼田小早川家の高山城に入り、翌21年には沼田川を挟んだ向かいの新高山城。そして、永禄10年には、海の交通に直結する三原城の築城をはじめたと伝わります。
 父である毛利元就には11人の子どもがいましたが、彼を助けるに足る働きをしたのは、長男の毛利隆元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景だったといわれています。また、隆元が早くに病死したため、元就が最も頼りにしたのは、元春と隆景だったともいわれています。二人が、毛利の躍進を支える大きな存在となったことから、二人合わせて“毛利の両川”と呼ばれていました。

 沼田東町納所には、小早川家の菩提寺である米山寺があり、初代実平から17代隆景までの宝篋印塔(国の重要文化財指定を含む)20基の墓が並んでいます。

隆景広場
◆三原駅北のロータリーにある隆景広場では、小早川隆景像を見ることができます。


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