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三原市名誉市民 村田兆治
村田 兆治(むらた ちょうじ)
平成6年10月11日顕彰
昭和24年生まれ、昭和43年3月、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリンズ)に入団するや、1年目で初完投・初勝利を飾って以後、独特の「マサカリ投法」で最優秀選手賞、奪三振王、MVPなどを受賞し、輝かしい活躍をされた。
昭和57年、右腕ヒジの故障で一旦現役を終え、渡米治療の後、2年(818日)ぶりに一軍登録、1073日ぶりに勝利投手となる。カムバック後は「サンデー兆治」の異名をとり、自分の限界に挑戦し続ける姿を通じ、広く社会の模範となることから、東京都都民文化栄誉賞を受賞される。
引退後は野球評論家としてテレビ・ラジオでの解説や、全国各地での講演、野球教室の開催などのほか、野球を通して離島の人々とふれあい、島おこしにも貢献され、広く社会文化の振興に寄与されており、郷土の誇りである。
令和4年11月、72歳で逝去される。
栄典事項 | |
日本プロ野球200勝名球会入り、東京都都民文化栄誉賞、野球殿堂入り | |
主な略歴 | |
昭和43年 | 東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリンズ)に入団 |
昭和49年 | 最優秀選手賞受賞 |
平成元年 | 200勝達成「昭和名球会」入り |
平成 2年 | 40歳で引退し、野球評論家へ |
平成17年 | 野球殿堂入り |