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瀬戸内三原築城450年事業
450年の時を知り、未来につなげる新聞
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三原城について

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年4月5日更新
 戦国武将の小早川隆景は,兄の吉川元春とともに,おいの毛利輝元を助けて中国統一を完成させ,瀬戸内海の水軍を掌握していました。
隆景は,三原の沼田川(ぬたがわ)河口にある大島と小島をつないで「三原城」を築きここに移ります。「小早川家系図」によると,築城は永禄10(1567)年とされています。
三原城は海に向かって船入りを開き,城郭と軍港としての機能を備えた名城で,満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えたので「浮城(うきしろ)」と呼ばれていました。
 その後,1894年には三原城本丸跡地に山陽鉄道の駅舎が建てられ,山陽本線と新幹線が本丸を貫き,今は天主台跡とそれをめぐる濠と船入櫓跡・中門跡などが残るのみになっています。
 三原市教育委員会では,平成19年度以降,三原城跡周辺整備事業を進めており,平成28年度中に,史跡整備が完了する予定です。

整備後の三原城跡周辺イメージイラスト

▲整備後の三原城跡周辺イメージイラスト

明治43(1910)年頃の三原城跡(船入櫓跡)。手前は瀬戸内海

▲明治43(1910)年頃の三原城跡(船入櫓跡)。手前は瀬戸内海

現代の三原城

▲現代の三原城跡

三原城歴代城主 紋所

左から,左三つ巴,福島沢瀉,餅の内に杵

三原市サイト内の三原城に関するページ

小早川隆景・三原城関連年表

 『史跡小早川氏城跡(三原城跡)史跡整備にかかる通り丁地区発掘調査報告書』より

和暦西暦主なできごと史料
天文13年154411月竹原小早川家の養子となり家督を継ぐ
19年155010月沼田小早川家の養子となり家督を継ぐ
20年155110月高山城に入る佛通禅寺住持記
21年15526月新高山城の築城を開始し、高山城から移る佛通禅寺住持記
22年15533月八幡原六郎右衛門尉に三原要害の在番を命じる萩藩閥閲録
永禄4年15613月毛利元就・隆元が新高山城を訪れる毛利家文書
永禄10年15672月三原城を築城する小早川文書
天正3年15754月島津家久が上洛の途次三原城付近を通過する

中書家久公御上京日記

5年

15777月毛利輝元が三原に本営を置く(同年末ごろまで)
新高山城に匡真寺を建てる嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)
禅師語録
8年15807月三原城の修築を命じる萩藩閥閲録
10年15824月三原城の修築を命じる萩藩閥閲録
6月織田信長没、秀吉と講和
6月磯兼景道に三原城の堀普請を命じる萩藩閥閲録
11年15833月三原城下町の整備を進める萩藩閥閲録
13年15858月伊予国を拝領
14年15863月湯築城の築城開始浦家文書
15年15873月秀吉が三原城に宿泊する九州御動座日記

6月筑前・筑後に移封
16年15882月筑前名島城の築城開始
文禄3年159411月秀吉の甥、秀俊(秀秋)を養子に迎える
4年159511月秀秋に家督を譲り、三原城を隠居城とする
11月自身の居所の完成を急がせる萩藩閥閲録
慶長元年159611月三原城の本格的な改修を開始萩藩閥閲録、
佛通禅寺住持記
2年1597

6月

小早川隆景没
3年15988月豊臣秀吉没
5年16009月三原が毛利氏の直轄領となる萩藩閥閲録
9月関ヶ原の戦い
10月福島正則入国
6年1601この頃、福島正之を三原に置く

20年

1615閏6月一国一城令
慶長年間この頃の三原城の規模を記す(『増補三原志稿』)増補三原志稿
元和5年16197月福島氏改易、浅野氏入国
10月浅野忠吉が三原城代となる
6年16203月三原城の存続が認められる

自得公済美録
(じとくこうせいびろく)

正保年間この頃、「備後之内三原城所(正保城絵図)」制作される
この頃、三原城榎之門の脇に長屋を建てる浅野家記
万治2年165910月三原城堀浚えの伺いをたてる玄徳公済美録
寛文2年1662三原城書院・溜之間・居間・焚火之間・風呂屋を再建する、
玄関を付け替える
浅野家記
3年1663舟入の脇に多門櫓を建てる浅野家記
三原城の門番の居所を建て替える浅野家記
延宝8年1680三原城西大手門の外側に柵・菱垣を築く浅野家記
元禄元年1688この頃、「紙本著色備後国三原城下絵図」制作される
宝永元年170412月この頃の三原城の規模を記す浅野家記、広島藩覚書
4年170710月地震により三原城壁が壊れ、修復を願い出る浅野家記
文政3年18207月三原城内に明善堂を建てる増補三原志稿
12年18296月三原城二の丸の石垣修復の伺いを出す天祐公済美録
13年18307月石垣普請の手伝いを町方に要請する川口家文書
天保11年1840この頃、「紙本著色備後国三原絵図」制作される
安政2年185512月三原城本丸の石垣修復の伺いを出す温徳公済美録
3年1866三原城内に南館を新造しこれに移る、桜山に砲台を築く、
新高山城に備えをしく
増補三原志稿
慶応3年186712月大政奉還
慶応年間この頃、「紙本著色備後国三原城絵図」制作される
5年18725月三原城内の建造物等の入札が行われる安田家文書
10年18775月通り丁付け替え工事(本町・館町新道)
13年1880三原小学校成立、本丸御殿を校舎として使用
19年1886三原小学校、本丸御殿の使用を止め移転
27年1894三原停車場が完成
昭和32年195712月三原城跡が国史跡に指定される