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わたしの想い出22 西浜港

記事ID:0002880 更新日:2014年4月1日更新
 
西浜港
~水路交通が栄えた町~ 
昭和初期頃の西浜港現在の港町
▲昭和初期頃の西浜港の一角▲明治中期頃から徐々に埋め立てが進められ、現在のようになった港町
勝村篤博さん
勝村 篤博さん
(港町三丁目)
 「やんちゃな子ども時代は、よく叱られていました」
 現在の市役所庁舎のあたりは、昭和初期頃までは入り江となっていて、西浜港といわれていました。青果市場に野菜などを売りにくる船や、材木を運搬する船など、さまざまな船が出入りしていました。近隣の島から品物を売りに来る人は、三原の街で買い物をして帰っていきました。幸崎方面からも、陸を通るより便利で早いのが船での交通でした。

 港町で生まれ育った勝村篤博さんは、幼い頃の想い出を語ります。「帝人橋(曙橋)からよく飛び込んだものです。泡が切れないように、仲間を引き連れて次々に飛び込みました」と勝村さん。水がきれいで、夏場はシャワーを浴びているように気持ちよかったといいます。

 家族の手伝いで、材木を船に積む作業などもしていました。揺れる船に足元が安定せず、重い材木とともに海に落ちてしまったこともあります。「真冬の海は本当に冷たかったです」と苦い想い出も語ってくれました。

 子ども時代、欲しい物も簡単には与えてもらえず、厳しくしつけられたことで、物のありがたみを教えられたという勝村さん。「今の子どもたちにも、もったいないという気持ちを、持ってもらいたいですね。そこから感謝の気持ちが生まれます」と語ってくれました。

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