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わたしの想い出18 和田沖干拓

記事ID:0002879 更新日:2014年4月1日更新
 
和田沖干拓
~笑い声が響く干潟~ 
干拓工事のようす対岸から工場の木々の緑が眺められる
▲船からパイプが延びている干拓工事のようす▲対岸からは、干拓地にできた工場の木々の緑が眺められる
 
橋本重興さん
橋本 重興さん
(貝野町)
 「近所の子どもたちは、みんな泳ぎが得意でしたよ」
 「当時は海岸線に沿って民家が並んでいて、満ち潮のときは海へ飛び込んで泳いでいました。貝・小魚・カレイ・テナガダコ・クルマエビなど、魚介類の宝庫で、水もきれいでしたよ」と子どもの頃の思い出を語るのは貝野町在住の橋本重興さん。昭和25年に和田沖干拓事業が着工される以前は、現在の国道185号のあたりまでが海でした。

 貝野町周辺は、海と山がとても近く、自然豊かな環境の中で育った橋本さん。特に、引き潮のとき、干潟ができるのがとても楽しみだったといいます。「近くに広場がなかったので、干潟ができると友だちが自然に集まって、ソフトボールをしていました。はだしで走り回り、元気がよかったですよ」と橋本さん。また、多くの人が潮干狩りにやって来て、あさりなどをとって帰りました。

 干拓が行われてから、景色がずいぶん変わりました。海は見えなくなってしまいましたが、工場の脇に植えられた木々の緑が気持ちよいといいます。また、須波町の方へ向かうには、くねくねとした細い一本道を利用していましたが、広くまっすぐな道ができ、便利になりました。夏祭りの花火大会は、毎年恒例の楽しみになっているそうです。

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