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わたしの想い出17 鉄道高架

記事ID:0002878 更新日:2014年4月1日更新
 
鉄道高架
~街のにぎわいが交わる踏切~ 
三原東城線の土手町踏切(昭和56年)信号が交通の秩序を守る現在
▲三原東城線にあった土手町踏切(昭和56年)▲信号が交通の秩序を守っている、現在のようす
 
佐々木政行さん
佐々木 政行さん
(東町三丁目)
 「19歳で当時の国鉄に就職し、県内外9か所に赴任しました」
 JR三原駅から発着を繰り返す、山陽本線と呉線。平成3年に高架の工事が行われて以来、現在のように道路より高いところを走るようになりました。それ以前は、道路と線路が交わる要所に踏切があり、南北を行き来する多くの人々に利用されていました。

 駅の両側の、東第一踏切と館町踏切は、特に交通量が多い踏切でした。「本町の商店街から、帝人通りにかけて、徒歩や自転車で多くの人々が、通称大踏切と呼ばれていた館町踏切を行き来していました」と語るのは、現在78歳になる佐々木政行さん。「私が若い頃は、映画を見に行くのが大きな娯楽でした。本町や港町にあった映画館に行くため、よく館町踏切を利用していました」と想い出を語ります。

 交通量の多い踏切には、警報機に加えて、交通保安係がいて、人の目によっても安全が守られていました。また港町にあった土手町踏切のように手動式で遮断機を下ろしていた踏切もありました。

 現在は、自転車をよく利用するという佐々木さん。「線路が高架になって、待つことがなくなり、とても便利になりました。また、歩道が多くなったので、安全面でもよくなったと思います。マナーを守ってより安全な街にしたいですね」と語ってくれました。

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