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わたしの想い出16 塩田

記事ID:0002877 更新日:2014年4月1日更新
 
塩田
~力仕事が作り出した結晶~ 
昭和30年頃の古浜の塩田塩田
▲昭和30年頃の古浜の塩田
現在は建物がひしめいる
▲現在は建物がひしめいている
 
 
池田弘さん
池田 弘さん
(東町二丁目)
 「秋になると、大きなエビを捕まえるのが楽しみでした」
 現在、国道2号をはさんで多くの商店、工場、民家などが建ちならぶ古浜・旭町のあたりは、江戸時代から昭和30年代にかけて塩田が広がっていました。くぎられた四角い区画に、規則的に並ぶ三角の山。今となっては、なかなか見ることができない風景です。中学校を卒業してから8年間、塩田で働いたという池田弘さんは、当時の重労働のようすや子どもの頃の思い出について語ってくれました。
 塩が採りやすい夏季は、朝4時頃から仕事をはじめました。海水を放り込んだり、泥をさばいたり、左右に桶をかついで水を運んだり、すべてが力仕事だったといいます。
 雨が降って仕事ができないとき、塩田は子どもたちの格好の遊び場になりました。「野球や駆けっこをして、近所の友だちとよく遊びました」と池田さん。靴が貴重だった当時、足元はもちろん裸足でした。海水が出入りする溝には、しばしばウナギが潜んでいました。夜になるとガスランプを持って、こっそりと近づき、やすで刺して捕まえました。
 「今の子どもたちは、市内に塩田があって、手作業で塩を作っていたことを知ると、驚くでしょうね」と笑顔で語る池田さん。当たり前になってしまった今の風景も、時々昔と比べてみると、新鮮に感じるかもしれませんね。

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