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わたしの想い出14 国道2号立体交差(皆実)

記事ID:0002876 更新日:2014年4月1日更新
国道2号立体交差(皆実)
~ 幹線が交差する街 ~ 
情景情景
▲JR呉線が国道2号の高架下を通っていた頃(昭和56年)▲現在は、JR呉線が高架になっており、景観がずいぶん変化している
 
金元孝行さん
金元孝行さん
(皆実六丁目)
 「皆実町にあったボーリング場のにぎわいは、想い出に残っています」
 平成3年、JR呉線と国道2号が交差する部分で、大きな工事が行われました。それまで高架だった国道2号とその下を通っていたJR呉線の上下を架け替えたその工事によって、東西南北の行き来が円滑になり、とても便利に、住みやすくなりました。
 「最初は本当にできるのかな?と思いましたが、完成したのを見て感動しました」と語るのは、昭和40年代から皆実町に住んでいる、金元孝行さん。
 高架だった国道には、1メートルほどの歩道があり、通学時には多くの小学生が、学校へ向かって歩いていました。周辺にはまだ田んぼや畑があり、住宅や商店が建ち並ぶ現在のようすと比べると、ずいぶん素朴でゆったりした風景だったといいます。
 「昭和40年代、50年代は市街地が大きく発展した時代だったと思います。人の流れは経済の活性化のために、とても重要だと肌で感じました」と、移り変わる街のようすを見てきた金元さんは話します。
 「便利になると、人とのつきあいが希薄になりがちですが、身近なつきあいは大切にしていきたいですね。子どもたちには、一人でも多くの友人をつくってほしい。その関係の中から学ぶことがきっとありますよ」と語ってくれました。

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