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わたしの想い出12 帝人通り

記事ID:0002874 更新日:2014年4月1日更新
 
帝人通り
~ 時代とともに見つめ続けた商店街 ~ 
昭和30年代の帝人通り現在の帝人通り
▲映画館もあった、昭和30年代の帝人通り▲現在では、さんさん土曜市などのイベントで、
地域の交流が図られています
 
坂本ハツ子さん
坂本 ハツ子さん
(港町一丁目)
 「今でも、一人で電車に
乗って出かけるんですよ」
 駅から南に向かう多くの会社員の通り道であった帝人通り。飲食店や日用品を扱う店のほか、映画館、郵便局などもあり、戦後は特に、行き交う人でにぎわいを見せました。
 今月で91歳になる坂本ハツ子さんは、昭和11年、夫婦で寿司屋を開業しました。「世が明けるまで帰らないお客さんも多くて、つい居眠りをしてしまったこともあります」と、会社帰りの常連さんが多かったころの想い出を語ります。しかし、戦争中はお米がなくて、県庁で配給を受けたという苦労話も。
 昔は帝人通りに青果市場が立っていて、よく利用したといいます。「現在は、月に一回のさんさん土曜市が開かれていますね。良い品が多い市だと思います。帝人通りの活性化につながればいいですね」と期待を寄せます。
 車が少なかった頃は、子どもどうしが走り回って遊んでいました。最近では、お母さんに手を引かれた子どもが多いといいます。「物騒なニュースを聞くと悲しくなります。私も子どもたちを守るために、何か役にたてたらいいなぁと思っているんです」と、元気に語ってくれました。

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