ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 組織でさがす > 教育委員会教育部 > 文化課 > 「みはら民俗学事始・鮓本刀良意展~旅する巨人・宮本常一に導かれて~」を開催します

本文

「みはら民俗学事始・鮓本刀良意展~旅する巨人・宮本常一に導かれて~」を開催します

記事ID:0116660 更新日:2021年1月14日更新

 日本は、昭和30年代以降の経済発展とともに、大きくその風景を変えていきました。それは私たちの三原も同様でした。

 この企画展では、三原の変わりゆく生活を記録に残し、記憶を未来につなごうと奮闘した郷土の民俗学者、鮓本刀良意(すしもととらお)の調査の成果を紹介します。あわせて、鮓本を理解し、調査を支え続けた民俗学者・宮本常一との生涯にわたり続いた交流を、9通の宮本自筆書簡から紹介します。

企画展「みはら民俗学事始・鮓本刀良意展~旅する巨人・宮本常一に導かれて~」

会期  令和3年2月20日(土曜日)から3月7日(日曜日) 

     9時から17時/会期中無休・入場無料

会場  三原市民ギャラリー ギャラリー1

     (三原市城町一丁目2番1号・三原駅南口から徒歩3分)

主催  三原市教育委員会

ポスター

 

鮓本刀良意(すしもととらお)ってどんな人?

とらお 

明治43(1910)年生~昭和53(1978)年没

【写真・昭和39(1964)年中之町・太郎谷遺跡にて】

 若い時から郷土史研究家として、歴史や古くから続く生活様式の調査を続け、三原市内の民俗学の分野ではパイオニア的存在でした。なかでも幸崎町の家船(えぶね)を中心とした調査、椋梨ダム建設に伴う水没地区の民俗調査には、特に力を注ぎました。昭和37(1962)年、広島県民俗緊急調査の調査員になったことがきっかけで、日本を代表する民俗学者・宮本常一と出会い、亡くなるまでその交流は続きました。鮓本は30代から闘病生活を送り、体力の低下した後は仕事を辞めてまで調査活動を続けました。『ダムに沈む村・広島県椋梨ダムの民俗調査』は鮓本渾身の著書です。

宮本常一(みやもとつねいち)ってどんな人?

常

 明治40(1907)年生~昭和56(1981)年没

【写真・昭和40(1965)年 椋梨ダム水没地域の視察のため三原駅で待ち合わせる(鮓本撮影)】

 日本を代表する民俗学者。全国の農山漁村を旅し、徹底した実地調査を行い、その土地の暮らしを支えたものは何であったのか、に目を配りました。地球を4周するほどといわれる調査の旅を重ねて、「旅する巨人」とも言われています。その著作は膨大で、代表作として『忘れられた日本人』、『宮本常一著作集』全51巻があります。また、鮓本の要請を受けて、『三原市史第7巻民俗編』の監修と執筆も担いました。

鮓本刀良意の遺した資料について

 鮓本刀良意は、多くの自作の民俗調査資料を遺しました。

 自分で撮影した写真に丁寧に解説を記入し、失われゆく風景や生活を記録にとどめました。企画展会場では、こうした資料を中心に鮓本の調査研究成果を紹介します。

えぶね

 

昭和37(1962)年広島県民俗緊急調査の調査員として、幸崎の家船を中心とした調査を担当しました。鮓本は、この調査を通して宮本常一に見いだされ、本格的に故郷の民俗調査に取り組むことになります。

 

田植え

 昭和39(1964)年から始めた、椋梨ダムによる水没地区の調査記録です。水没前の最後の田植えの記録となっています。

 

民具

 鮓本とともに宮本常一は、昭和41(1966)年に椋梨ダム水没地域の調査を行いました。その時の様子を撮影した写真です。宮本は、この調査がきっかけで本格的な民具調査を始めた、と後に語っています。

写真データについて

写真資料は三原市教育委員会所蔵です。これらの無断利用・転載を禁じます。出版・放映・Web上で掲載・展示等、利用の際には申請が必要です。三原市教育委員会文化課までお問い合わせください。

Adobe Reader

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)