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中井教授インタビュー

記事ID:0003117 更新日:2014年2月17日更新

インタビュー~専門家から見た三原城~

中井 均教授

中井教授

 平成25年5月19日(日曜日)に開催された、第3回三原城跡ウォークに講師としてお迎えした滋賀県立大学の中井教授に三原城についての話をお聞きました。

三原城の特徴について教えてください。

 海城ですね。毛利水軍が拠点にしようとした城です。新高山から沼田川を下ったところに城を作り、そこから海へ出て行くというのが、毛利・小早川にとってほしかった城だと思います。 問題は、海の城を作ろうとしたら、波にさらわれるとかある程度の石垣の技術とかが必要になるので、戦国時代にはなかなか作れないと思うので、完成したのはもっと後だと思ってるんです。小早川でも、毛利の時代ではこんな石の城ではなかったのではないかと思います。秀吉政権に組み込まれた後の時代で、秀吉政権下における毛利水軍の拠点になるのではないのかと思います。さらにもっと言えば、完成は関が原の戦い以降で、福島正則が入城してからです。

時代をかけて造り上げられたお城ってことですか?

  はい。だから、その時々で顔つきが違うんです。小早川の毛利水軍のときは、毛利の水軍のためのドックみたいな城でした。
 秀吉政権のときは、朝鮮出兵を狙っていますから、水軍の本拠地を作らないと、朝鮮半島に渡れないので、そのひとつにおそらく三原が選ばれているのは間違いないと思っています。それが、秀吉政権下においての三原城のあり方だと思います。
 今度は、徳川政権として福島が安芸備後に入ってきて、備後支配の拠点として三原城が補強されるんですが、それは広島城を中心として領国支配を決定的にすることと、もっとすごい城を作らないといけないということで、三原はまた強固になったというのがおそらく今の姿だろうと思います。
 次に浅野が安芸備後に入ってきて、普通は一国一城令でひとつしか城がもてないのに、安芸でひとつ、備後でひとつもっていました。備後は福山もあるので、基本国持ち大名ではないのにひとつの大名が二つ城を持てるのはきわめて異例なんです。これが、三原城の徳川の時代の面白さといえます。
 毛利時代の顔つきと、豊臣政権下における毛利時代の顔つきと、徳川時代初期の福島のとき、浅野の時代。おそらく4つくらい顔があって、それぞれ三原城っていうのは一緒なんだけど、顔つきが違ってそれぞれに活気があってすごく面白いんです。

 三原城のすごいところはどこですか?

 海に面した石垣のすごさは古写真を見てもすごいなと思いますね。明治維新の後で、電車が通ったりして残っているものは少ないので、今は江戸時代の1割程度しかないんです。だから、三原城はこんなもんじゃないんです。おそらく、まちの中を歩いたら結構石垣が残ってるじゃないですか。だから、それでイメージできるとは思うんですけどね。とても大きな城だったんです。

海に面した石垣を作るのはすごく難しいことなんですか?

  むずかしいですね。三原か、高松か、石垣に波が打ち寄せるというところはなかなかないんです。戦国期で、海に面した山に作るところはあっても、海岸に作るっていうのは不可能に近いんですよ。 
 でも、平地の城ってすごい便利なんですけど、戦争になったときには不利なんです。山城は攻めにくいですから、戦国時代はたくさん山城が作られたんです。そこで重要になるのは、裏山との関係です。おそらく、桜山城は、小早川が三原城を作ったときに造られたんだと思うんです。戦争になったら三原城と一対になって守ろうと、追い詰められたら、山に立てこもるための城なんじゃないかなと思います。だから、三原城を語るには、桜山城ははずせない城のひとつなんです。

 桜山城跡から見た三原市街
桜山城跡から見た三原市街

城跡が残る三原市についてどう思いますか?

  城跡を持っているまちは約183あります。全国で何千自治体ある中の183は少ないですよね。そして、この中で痕跡残してるのは、150自治体くらいしかないので、そこに住んでいるっていうのは、すごい魅力だと思います。そういう意味では、まちづくりの核として活用していかないといけないと思います。
 そして、城跡として市民の方に誇りを持ってほしいし、誇りがもてるものだと思うんです。風景の一コマでもいいんですよ。とにかく、石垣があって、堀があって、町並みと一緒で風景の一コマとして三原市民の人が頭にインプットしてほしいなと思います。 復元もしなくていいし、石垣と堀があるだけでいいと思います。
三原で誇れることっていったら「たこ」って言う前に、「三原城」でしょって思ってもらえるように、。歴史あるまちに住んでるっていう誇りにしてほしいです。
 さらにいうと、少子高齢化の中で、まちを愛して、そこで生まれ育った人たちが住み続けて、結婚して、子供を育てたい、と思うようなまちにしていかないといけないじゃないですか。住みたいなと思うために魅力あるものって自然と歴史の2つしかないと思うんです。こんな自然環境のよいところに住んでるんだっていう自慢と、こんなに歴史の濃いところに住んでるんだって誇りにしてほしいですね。

 


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